『1』 わたしの占い師修行
【わたしが「穴あき通りの占い師」となった理由】
わたしの父は98才です。
「おれは100歳まで生きる」と前々から公言しておりました。
それでも高齢には勝てず、足腰が弱り、庭木の伐採も盆栽の手入れも
ずいぶんおろそかになりました。
父は、若いころから占いを学び、わたしの28人おります従妹たち
ほとんどの名付け親となっております。
父は100まで生きるはずですが、わたしは「20歳で死ぬ」と心にひそめて
夭逝にあこがれておりましたが、
20を目前にあることがあり、死ぬこともままならず、
生を選んだわたしは手相修行に入りました。
なぜ手相だったのか、多分父の影響だったのでしょう。
父が「これを参考にしろ」と渡してくれたのが佐藤六龍でした。
ただ、わたしは西洋手相派であり、佐藤六龍師の出自は中国手相派だったと思
います。
20代の半ば、海外旅行の途次、こんなことがありました。
ホテルの部屋で片付け物をしていると、ベッドメーキングの女性がやってきま
した。
ふとしたきっかけで、彼女たちの手相鑑定をすることになりました。
彼女たちは英語がわからないというので、英語のわかる上司を連れてきて、
通訳をしてもらいました。
最後に手を見た上司の手相から、つらい現実が読み取れました。
「子供は3人いる。」
なぜだかわたしにはすらすらとこんなことが読めたのです。
しかし彼女は幸せではない。
働かない夫のせいだとわたしは指摘しました。
彼女はわたしをにらみつけました。
運命線に大きな障害線が横切っております。
「でも、子供たちがあなたを助け、あなたは必ず幸せになれる」
英語で話したわたしの言葉を、彼女は周りの女性たちのために翻訳しておりま
したが、
話しながら彼女はポロポロと大粒の涙を流したのです。
そればかりか、一緒にいた女性たちも泣き出しました。