【a_talk-episode 10】

・・・伝統の継承者、「子供歌舞伎」・・・
 岐阜県美濃加茂市よりルート41を北へ進むと加茂郡白川町に着く。さらにそこから清流白川を東の方へ遡っていくと、東白川村がある。(自然と調和した村で岐阜県で二つしかない村のその一つと聞く。また、この村には1868年からの神仏分離令に始まる廃仏毀釈運動によりお寺がない。)そして、この地域には江戸時代から始められた地芝居として脈々として伝承された農村歌舞伎があり、明治には常設の芝居小屋「神田座」「日向座」「相生座」があったと聞く。ただ昭和初期の太平洋戦争での一時中断が有ったにも関わらず、そこからの復活は昭和50年に歌舞伎愛好会が結成され、昭和52929日に戦後初めての農村歌舞伎公演が行われた。その歌舞伎で子供歌舞伎が誕生したのは平成8年位からで、中学生も含む子供達が参加し、小学6年生の卒業記念として、正式に行われるようになったのは平成16年位からだと聞く。今年の子供達の出し物は「浮世柄比翼稲妻中ノ町鞘当ての場」だそうである。その農村歌舞伎が息づいている岐阜県加茂郡東白川村を訪ねてみた。


 先ずは、上演前の子供達の表情を見たくて楽屋裏を覗いた。そこにはやや緊張気味の子供達の顔があるが、そこは現代っ子である。その緊張を楽しんでいるような笑顔をカメラで捉えることが出来た。今までに見たことがなかった歌舞伎独特の舞台化粧をほどこされ自分の容姿が変化するのをまるで楽しんでいるかのような表情も捉えることが出来た。その化粧の後は衣装合わせを行い、小道具等を身につけ段々と一端の役者になっていく。その姿を見てから、上演時間が近づいてきたので楽屋を後にし、舞台のあるホールへ移動した。


 この会場は、村役場から長いスロープを上っていくと、とても立派なはなのき会館が有るのである。(この奥には自然体験が多く受けれる施設の「こもれびの里」がある。)ここで歌舞伎が行われ、その開場が11時、開演が12時からである。演目は、小学6年生の子供歌舞伎を含め、この日は4幕行われる。まだ上演時間には間があるにも関わらず、そこには村内の人々が全員集まって来ているのかのごとく大勢の人が詰めかけていた。12時開演という昼食時の演出も、昔ながらの村人の余暇を再現している時間帯である。(4幕終了は夕方になるのではとお聞きした。)今回の子供歌舞伎では小学校6年生11人が出場する。それぞれの衣装で、今までに練習してきたことを一気にこの本番舞台で演技をするのである。ただ、子供達に取って、長い芝居を始めから終わりまで通して上演する通し狂言は難しいので、いわゆる見せ場だけを選んだ切狂言(一幕物)を演じるのが恒例と聞く。化粧といい衣装といい小道具といい、そこには大人顔負けの演出があり、子供達の演技が所狭しと行われていた。大人顔負けの妖艶さを漂わせた女子、顔に一杯メイクを施された男子、それぞれに与えられた役柄を精一杯演じている姿は美しいものである。また子供達の演技の節々で観客からのお捻りとか花代とかが所狭しと舞台に投げ込まれる。子供歌舞伎と観客とが一体になった瞬間でもある。これらのご祝儀は子供達の演技に支障が出ないか少々心配になる位、その半端でない量では有ったが、子供達の精一杯の演技に対しての、観客からの精一杯の気持ちであるので、それはそれで仕方がないことなのか・・・と。とにかくその盛上がった共有の時間をたっぷり味合わせて貰った。


 今回、子供歌舞伎を見させて頂いて思ったことは、日本古来から脈々と受け継がれている伝統は、その継承者たる者達がいてこそはじめて繰返すことが出来ることではないかと改めて感じたのである。今の日本は余りにもアメリカナイズされたグローバルという言葉に踊らされて違った方向へ進んでいるのでは無いかと危惧するのである。日本人として、日本古来の伝統文化は守られるべきものであると、改めて感じた時空間であった。やはり地域で子供を育てる(継承者を育てる)ことは、大局的に国を育てることと、同じことと今回は感じた。

  Photographer 岡田 朗



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