【a_talk-episode 11】
・・・ネイチャークラフトの匠・・・ | ||||||||||||||||||||||
紅葉真っ盛りの時、旅心に誘われて中津川の知人を訪ねてみた。中津川の知人とはあるイベントで知り合ったネイチャークラフトのアーティストである。自然から送られる松毬などの贈物を駆使し、生き物の形や昆虫などのオブジェを造ったり、音の出る笛などのオブジェを造ったりされている方で、それを元にイベントでの公演や教室等を催されているアーティストである。・・・と思っていて尋ねてみて実に驚いた。
実はネイチャークラフトのアーティストだけではなく自然の野山に生える草花(特に東海丘陵植物群)の知識人としての大家でもあると聞く。その方の名前は『栗谷本』さんという。(以後、先生)先生とこれら植物との出会いは、約40年前に遡ると聞く。先生がまだ20才の頃、先生のお父さんが、その当時サツキの栽培等で傑出されたものを持っておられ、この世を突然に去去られ、それを受け継ぐ形で植物と出会ったと聞く。そこから植木、草花等植物に対する関わりが始まり、今では数多くの植物や、本当に貴重な植物等の育成を手がけられている。先生の工房でも、日本でも貴重な珍しい品種や、その他多くの種類の植物の鉢植えが所狭しと置かれ、育成されている。また、それ以外にも例えば『大山蓮華』『笹百合』等の種まきからの育成も行われている。
この大山蓮華や笹百合等の種を毎年中津川の東に位置する根ノ上高原や富士見台等の湿地帯に、これらの種を時には5,000粒~50,000粒くらい蒔き、育成に努めている。ただ、ここから発芽するのは全体の1%にも満たないそうである。これらの活動は、1988年根ノ上高原の湿地帯に群生する「イカリソウ」「ねぎぼうし」等の草花を保護する活動を目的とする『NNN(ネイチャーネットワーク中津川)』の設立に参加され、その代表も務められているそうである。この活動も当初は苦難の連続だったが、ここに来て、ようやく中津川市にも認められ、岐阜県からの補助も受けられるようになったと聞く。ここが先生の活動を始めた原点だと聞く。 私が先生と知り合ったのは、最初に記述した通り、その随分後で、先生のある一面しか知らなかった事に成るので、今回お尋ねするにあたり、最初はとても恥ずかしい思いがした。 ネイチャークラフトのアーティストとしてもとても有名な先生が、このネイチャークラフトというジャンルと出会ったきっかけは、やはり植物との出会いが大きかったと聞く。 お父様がこの世を去れれ、その継承者として先生が58歳の時、さる一流企業を退職し、その時、種から山野草等の植物を育て、その成長した山野草より自然の恵み(木の実や松毬、種、葉っぱ等)をいただき、これをなにかに利用出来ないかと考えた時、色々なオブジェ等を創り出すネイチャークラフト作りを思い立ったそうである。
長くなるのだが、このネイチャークラフトが陽の目を見たのは、やはり先生のお知り合いの方で、地元中津川市の唐辛子クラブを主催されている方と知合いになり、そのクラブがさるイベントで参加したおり、先生にも声をかけ、それに出品した結果、マスコミ等の目に止まり、その中でNHKのデレクターから、番組等に出演してもらえないか等の打診があり、「趣味の園芸」「おしゃれ工房」等に出演し、その後NHK以外の番組にも多数出演されているのである。
今回お尋ねする1週間前には、中津川の『中津川のふるさとじまん祭・菓子まつり(栗きんとんで有名な川上屋等老舗多数出展)』にも参加され、盛況だった旨のお話しもお聞きした。
今の先生の主な活動としては、植物の育成等に関わる事は当然あり、はたまたネイチャークラフトのアーティストしての活動もあり、それらはテレビ等のマスコミへの出演や先生のアトリエでもある『陶芸ひろみ』等において、生徒約60名の教室を開いておられ、また年間約160回ほどの公演をこなす等、精力的に活動をされている原動力に成っている。
ある地方の、たまたま知合いであった方を尋ね、その方に色々とお話しをお聞きしていくと、実は植物に関する知識人の中で大家であった。と言う夢物語が現実に目の前にある。(昨今言われているグローバルとは違う世界だ。)これらの夢物語が全国に広がれば、日本の国も、もう少し心温まる国になるのだけれど・・・。 Photographer 岡田 朗 |
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