【a_talk-episode 12】
・・・渥美半島伊良子岬へ・・・ | |||||||||||||||||||||||||
寒さの厳しさが増す時期に、ふと思い立って伊良湖岬へと向かった。単純な発想なのだが、往来する船を導く灯台(心の中では灯台の明かりを見ているのだが。)の現在を見たくて豊橋に降り立った。そこから東海岸(表街道=国道42号線)を抜け、目的地の伊良湖岬の灯台を見てから西海岸(田原街道=国道259号線)を通って戻るルートを選択した。
先ずは、渥美半島のつけ根付近の田原街道から東海岸の六連に向かった。途中でローカル鉄道の豊橋鉄道渥美線の杉山駅に出くわした。のどかな情景があったので、寄道をして駅舎等を見ていると、そこに溶け込むように、銀色に輝く車体を揺らしながらローカル線の電車が入って来た。思わず心温まる情景に出くわしたような感じがした。
次に立ち寄ったのは、六連から少し南西に下った所にある海に面した東海岸である。遠州灘に接する海岸は波風も強く、また高低差のある地形がその断崖を生みだし、より一層の荒々しさを表現し、その海岸の風景が延々と浜松付近まで続く光景は、まるでアメリカの西海岸のサンタモニカから、北へ向かう海岸の風景に似たものがあると感じてしまった。また、ここは黒潮が流れる遠州灘であり、魚が豊庫で、釣り好きの太公望等が多く集まる場所でもあると聞いた。偶然にも、この荒波に対して果敢に挑んでいる釣り人を発見し、その荒波に戦いを挑んでいる勇姿に刺激を受けた。荒々しさと男らしさ、そしてその勇姿が絵になるのである。
そして次はいよいよ当初の目的である伊良湖岬だ。ただ、またまた寄道として、やはり風光明媚な伊良湖岬の一つの観光名所である日出の石門を尋ねてみた。岩が侵食され、その真ん中付近が空洞に成っており、反対側が見えるようになって、朝、そこから太陽が上ってくるという事で、この名称が付いたみたいである。そしてその岩に近づくと、海と岩との雄大な光景と荒々しさを真に受けた感動が体全体に伝わってくる気持ちになる。
「本当に自然のパワーは偉大である。」と感じつつ、本来の目的地である伊良湖岬の灯台へ向かった。寒波の影響かも知れないが、とても風が強く吹き荒れ、海は白波が立ち、そして雲の切れ間から時折照らす太陽の光、それが灯台に照射した時、そこには何も言えない幻想的な風景が醸し出されていたのである。これが現地へ着いた時、最初に心に残った衝撃であった。この灯台は、今までに幾多の困難を乗り越え、ここを行き交う船の安全の為に日夜活躍していたと思えば、頗る感動である。ここで余談ではあるが、今の日本を顧みると、この国の指針となり引っ張ってくれる指導者が、本当にいない事の一抹の寂しさと不安を覚えるのである。灯台とその光のように凛々しく、何があっても動じない、自分の意志のもと、その責務を全うする指導者が早く現れる事を期待する。この灯台に戻るが、この岸壁に立つ白い伊良湖岬の灯台は、今はどうも光を放って稼働していないのではないかと感じるのである。と言うのも、この岸壁に立つ白い灯台の近くの高台に、この灯台とは全く規模の違う近代的な建物が出来ており、光も発する事の出来るバルブが取付けられており、どうもこれが現在の伊良湖岬の灯台であるようにも見えるのである。現実にこの建物を示す表示は「伊勢湾海上交通センター」と明記されているからである。少し寂しい思いもしたが、白い昔からの形状の灯台は、その役目を終え、観光用として第二の生きる道を見つけ、その存在感を示していたのは心温まる思いがした。
それから、ふと立ち寄った西海岸(隣接の風力発電のプロペラ5基の施設まで約3キロにもなる道路が連なる。)から、違った角度でこの新しい灯台の形を見るのも面白い。このあたりから見た伊良湖湾と、その向うの高台に経つ新しい灯台は一種異様に見え感動を覚えた。それから、この西海岸には、風の吹きだまりなのか海から打寄せられたゴミが沢山そこに溜まっていた。観光地として、あり得ない光景を見せつけられた気持ちになったのは自分だけではないと感じる。何となく人として恥ずかしい部分を見せつけられた気分に陥ってしまった。是正は必要だろう。
これらを後にし一路田原街道で豊橋へ向かった。また、ここでも寄道を一つ行った。田原にある三河湾が一望出来る展望台で、蔵王山展望台である。この日は天気も良かったので綺麗な風景が一望出来た。手前にはトヨタの施設等工場地帯。まだまだ土地が余っているようで、確か知事が来年には何か巨大な外国資本の工場が建つような事を言っていたなと思い出した。
これからも渥美半島等も含め盛況になるよう心から祈り筆を置こう。 Photographer 岡田 朗 |
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