【a_talk-episode 15】
・・・ 三遠南信道から鳳来寺山&佐久間ダムへ ・・・ | ||||||||||||||||||
高速道路だがまだ全線開通が成されていない為、今は無料の道路と聞き、それはどの様なものかと、尋ねることにした。
まだ日の昇らない朝靄の中、その現地へと向かった。その現地とは浜松の三ヶ日JCTから北へ、新東名の方へ向かい、引佐JCTで新東名と別れ、北へ延びる高速道路がある。そう、それが三遠南信道というまだ全線開通しておらない高速道路である。浜松の引佐から愛知県の鳳来峡までの約14㎞が開通したのである。ふとした思いつきから、とにかく見てみたくなり、ひたすら山道を駆けぬけ向かったのである。幾つもの峠を越え、ひたすら三遠南信道の一方の出発点である引佐へ向かった。約名古屋から約3時間の行程である。しばらくすると、突然に巨大なコンクリートの柱が見えてくる。この柱の隙間をすり抜けるように進むと、もうそこは三遠南信道(無料)である。そこにはまだ真新しい臭いの残る高速道路が横たわっている。今のところ、この道路はタダなのかも知れないが、タダの道路を爽快に車で走るのは何と喜ばしいことかと・・・。あれやこれやと思っている内に、終点の鳳来峡ICまで来ていた。やはりいい思いに浸れる時間は短いのである。
ここからルート151で少し南に下り、鳳来山東照宮と鳳来寺を訪ねてみることにした。山道から高速道路へ、そして山道へと移動しつつ、葛折りの続く山道を駆け上がり、鳳来山の山頂近くの駐車場に車を止めた。そこから暫く歩くのだが、ある程度の標高があり、少し寒いかなと感じながら参道を歩いていると、道端に仏像が祀られており、その近くには、山からの湧き水で凍ったと思われる氷柱が所狭しと幾重にも重なって、そこには造形美の如く表現をし存在していた。それらを見ながらほどなくして、鳳来山東照宮に着いた。ここは徳川家光公が家康公を忍んで建立を発願し、慶安四年(1651)四代将軍家綱公の時に完成したのだそうである。
厳かな空気の中で、煌びやかな風合いは何とも言い難い空気感に包まれていた。その空気感に浸りながら、次なる鳳来寺の方へ足を進めた。この鳳来寺は大宝二年(702)文武天皇の勅命により利修仙人が開山した寺院であり、本尊は薬師如来で、薬師信仰と山岳修験道の霊山として深く信仰を集めたそうで、今は真言宗五智教団の本山として存在しているそうである。元々は鳳来寺が、この地に建てられた最初の建物であるが、やはりここも煌びやかさは無いにしても、鳳来山東照宮に引けを取らない厳かな空気が流れていた。ただ、ここで一つ思ったことを言うならば、寺院の中の全ての建物では無いにしろ、建物の中には屋根に雑草が生えていたり、またいかにも朽ち果てそうな建物も、存在した。いくら修業の場と言え、歴史のある建物等文化遺産として、もう少し何とかならないものかと感じた次第である。
歴史を感じて良いのかも知れないが少なからず寂しさを感じた。歴史のある文化遺産は、その都度人間の知恵で綺麗に残したいものである。これらの情景を堪能して、次に向かったのは、ルート151を北上し、天竜川にある佐久間ダムへと向かったのである。
暴れ天竜と言われるぐらいの川を堰き止め、昭和三十一年(1956)完成したダムは、現在の静岡県浜松市天竜区と愛知県北設楽郡豊根村にまたがり、一級河川・天竜川本流中流部に建設されたダムの一つだそうである。当時から壮大なダム計画であったと聞くので、ダムに到るトンネル等特異なものが見受けられた。アーチ型の出入口のその奥は、土や岩肌が露出した形状で固められており、何時ぞやの、トンネル事故を思い出すと何だか気持ちが滅入ってしまいそうになる。ただ、ダムや壮大で重厚感があり周りの景色と溶け込み、心落着く情景がそこにはあった。これらを心に刻みながらまた山道から一路帰路につく。 新しいものは爽快であり、また古いものも気持ちを落着かせる効果がある。だが、そこにはたゆみない人間の知恵が必要と感じたのである。このルート、一考の価値ありかも・・・。 Photographer 岡田 朗 |
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