【a_talk-episode 19】

・・・長野、善光寺を訪ねて・・・
 雲海の中を進むと、そこには大きな仏閣が近づいてきた。そう、ここは信濃で暗闇の回廊がある、言わずと知れた善光寺である。その建物は荘厳である。この歴史のある寺院で全国からその信者、観光客等が多く訪れるそうである。この日も平日に関わらず、ある程度の賑わいがあった。この寺院に続く参道等の街並は、民芸品等を販売しているお土産物やさんが所狭しと軒を重ね、並んでおり、その賑わいも平日であるにも関わらず、目を見はるものがあった。


 ところで、善光寺については、一々説明する事もないと思うのだが、取り敢ず少しの説明を加えれば、この建物は宗派を越えて644年創建されたと聞く。今回は長野市の歴史のある建物等尋ねてみた。


 この善光寺界隈は、やはり全国的に有名な観光地である為、ゴミ等の処理等がなされ、綺麗にされているのは当然だと思うのだが、次に訪れた長野市松代町の松代城跡(旧海津城跡)、真田宝物館、真田邸、文武学校、像山神社等の各施設の整備された環境も、とても美しいものであった。


 ところで、もうお気付きとは思うのだが、何故、松代が真田氏の領地かというと、元々上田に有った真田氏の領地を、戦国時代に徳川方についた真田信之(真田幸村の兄)が、1622年に徳川幕府から上田領から松代領の藩主として命じられ、以後250年にわたりこの地(真田10万石)を治めたのだそうだ。


 ここにある色々な展示施設の中で、特に真田宝物館の中には戦国時代からの色々な資料が置かれている。豊臣秀吉からの手紙や古文書類、はたまた鎧甲やその時代の生活様式等の資料等、それは多く観る事が出来る。館内を見て回ると、どれも貴重なものと認識をした。
 また、これらの施設を散策しているなかで、今までに聞いた事のなかった「幕末の先覚者、佐久間像山」と言う名前が出てきた。この方は幕末の松代藩において、その真田氏家臣の学者として活躍された人物だそうである。望遠鏡を制作し天体を観測したり、電信機を作り実験に成功する等科学に長けており、先見の明があり、早くから公武合体を唱え全国にも活躍され、その学問の門弟の中には吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬等々幕末に多大な影響を与えた多くの人物の名前が見かけられる。

 やはり佐久間像山も、幕末の混乱期で京都で暗殺されるのだが、それまでの影響は多大なものがあったと聞く。そして像山神社成るものもこの地には存在する。知の神様として崇められ祀られているそうである。ここには合格祈願等願いのこもった多くの絵馬が飾られてあった。真田氏の治世から、このような先見の明を唱えた人物が現れるのは、そのような土壌がここには有ったのだと感じる。



 また、先にも書いたが、真田氏の居城松代城は、上杉謙信と武田信玄が争った川中島の戦いの前線の城として造られた武田氏側の海津城である。この有名な川中島の戦い、ある意味、信濃という他人の土地で、その勢力拡大の為に戦いをした主戦場と位置するのではないかと感じるのだ。この高台の場所から観るとよく分かる。この場所は盆地であり、その真ん中に千曲川が流れ、ある程度の広さを持ち、戦いには打って付けの場所で有ったという事である。そこには、そこに住む信濃の人々の生活の事など一切考えない人間のエゴが垣間見えるような気がして成らない。


 戦いという事を考えると、これは現代にも言える事かも知れない。有る政治家が一つの政策を実行する時、そこには色々と恩恵に与る人々も現れると同時に、その恩恵を受けられない人々も多く存在する。申訳ないが、今の経済政策で本当に恩恵を被っている人は、誰なのか・・・。多分、多くの日本人ではないだろう。主戦場は日本なのだが・・・。

 最後に、この地で生まれた佐久間像山然り、新しくこの国を作り直さなければいけない時に、総合的な科学力を持ち、先見の明を持ち、その住民の幸せを守り、新しい政策を打てる指導者が現れて欲しいものである。 Photographer 岡田 朗




top

next



Copyrightc2006 Akira Okada. All Right Reserued
上記の無断掲載、再配布は固く禁じます。