【a_talk-episode 24】

・・・犬山城界隈・・・
 『犬山』、と自分の中の記憶に問いかけてみると、「明治村」、「入鹿池」、「リトルワールド」、はたまた茶室の「如庵」は思い浮かぶのだが、犬山の歴史の中心にあって以前から気になっていた(何度もその近くには訪ねていたのだが…)が、そこに実在する国宝の天守を持つ犬山城に心動かされ、初めて訪ねることにした。


 犬山は、愛知県尾張地区の最北に位置し、木曽川を挟んで対岸は岐阜県だ。そして犬山城は、その地域の中で木曽川と隣接する小高い丘に建てられており、古くは戦国時代の織田家によって、戦いの為の要衝の城として建てられたと聞く。(この織田家は当初、織田信長と敵対する関係にあったと聞く。)その天守が、少し形は変えど今に至るまで残っているのである。


 犬山には、この犬山城を中心とする古い城下町の風情以外にも、珍しいものがある。それは、東京の日本橋にある麒麟の翼じゃないけれど、木曽川に架かる名鉄電車(名古屋鉄道)の鉄橋の手前に立つ、石で出来た柱と、そこに施されているオブジェが、まるでそれを彷彿させるかの様な形状が見受けられ、それが心地良い存在を与えてくれているのである。


 その存在を認識しつつ、その木曽川の堤防を歩いてみると、哀愁漂う小径がそこにもある。その小径の左には、茶室で有名な「如庵」もあり、それらを通り過ぎると、いよいよ犬山城の登り口に着く。


 心地よい太陽の光を受けながら国宝の天守に向かって歩み始めると、お城の敷地内と思っていたのだが、いつか神社の境内に立っていた。この神社は針綱神社と云い、ここの例祭として有名なのは、絡繰り等の山車が出る壮大なお祭りだそうである。ただ、犬山城への道のりの途中で、この神社の境内に入る道が城内へ向かう道よりも目立つのは如何なものかと感じる事もあり、少し表示等の工夫(全方位からの城内へ向かう道のり)すべきと感じた。そしてようやく犬山城の入口へとたどり着いた。この城は、以前に訪ねた岐阜城や小牧城のように高くはなく、ちょっとした丘の上に立っているから、苦労をせずその天守にたどり着くことが出来る。そしていよいよ国宝と言われる天守へ辿り着くのである入った。


 この天守閣でまず最初に眼に入ってきたのは、木で出来た細い巾と急な階段である。名古屋城、岐阜城、小牧城然り、近代になって立替えられたものは、往々にしてその階段が広く登りやすくなっており、また天守からの眺めも見やすくなっているのだが、この天守閣は、今まさに戦国なのである。至る所の階段も狭く急な作りで、窓も戦いに必要な窓の作りになっており、天守からの眺めも然り、必要最小限にとどめているのである。(この日は天守の補修工事の為、通常より見られる範囲が狭くなっていたのは確かなのだが…)国宝と言われるだけの造が、そこにはあると思われるのである。使われている素材の材木は太くて厚く(戦いに勝つ為の手段手法か・・・)現存されている。また、現代のプレカット工法に用いられような、釘を使わずして木の組み合わせによって、その床や壁等、岐阜城や小牧城等で受けた感動よりも多くの衝撃を受けた。


 その犬山城に時間をかけ、それを心に留め置きこの場所を後にし、次に向かったのは、今の本町と称する旧の街並が整備された城下町である。思った以上に古い街並が整備されており、そこには地域のFM局も存在していた。新旧が混在する街、そこには人々の思惑が入り乱れていて面白い街並である。ただ、平日の昼間であった為なのかも知れないが一方通行であってもそこに車の往来があるのは観光客との接触の危険性をはらんでいて少し困惑を感じた。またその街並の一画に、団体観光客目当てなのかも知れないが、最近色々と眼に着く「何々横町」と銘打った長屋が出没している。中を少し見学したが、路地の出店風のお店が並んでいるだけで、奥は行き止まりに成っており、何の風情も感じ取れなかった。


 「犬山」を振り返り感じた事は、国宝の城があり由緒正しき神社があり、そして城下町の古い街並がある。ただこれらの上部だけの見せ物ではなく、観光についての一体感、方向性、安全性等について、まだまだ改善の余地は十分に残されているのではないかと…。


 はてさて、この路は何処へ続くのやら…。(目指せ観光立国日本の縮図かな…。) Photographer 岡田 朗





top

next


Copyrightc2006 Akira Okada. All Right Reserued
上記の無断掲載、再配布は固く禁じます。