【a_talk-episode 37】

・・・古代のロマンを訪ね、伊吹山へ・・・

 もうかれこれ2年ぐらい前になるだろうか、何かに取付かれたように気持ちが高ぶり伊吹山へ向かった。
 ご存じのように伊吹山は
滋賀県米原市、岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町にまたがる伊吹山地の主峰(最高峰)標高1,377mの山であるといろいろな文献に記載された場所である。今回はこの山へ知人の方と一緒に登ってみた。


 元々この山は神の住む山としてそこに住む人々には知られており、そこにはヤマトタケルノミコトの伝説も含め数多くの言い伝えがあるみたいである。その山へ今回は滋賀県側から頂上を目指して歩みを進めた。


 最初は牧草地帯のなだらかな斜面が続き、体も楽なのだが、1時間も進んでいくと急な山肌を見せる。その斜面を葛籠折りになっている登山道を息も絶え絶えに、そして休憩を取りながら約1時間30分をかけて登って行くことになる。やはり麓の街から近いのか、行交う人も結構いる。その中で登山になれている人は「今日は」と声をかけ、お互いにご苦労様ですと言う意味を踏まえてすれ違う。心温まるコミュニケーションの取り方だ。と額に汗しながらようやく頂上付近にたどり着いた。


 まだ残雪の残る場所もあり、そこにはやはり神の宿る霊山ならでの神秘的な情景が目まぐるしく通り過ぎる。そして頂上にはヤマトタケルの尊を祭る石像等も施されている。 

 ただ、以前より心描いていたヤマトタケルノミコト伝説は、大和朝廷に刃向かう東に巣くうものを成敗するために取り敢えず伊吹山の頂上からその下界を見渡し、これからの戦いのために気持ちを奮い立たせた場所で、ここでその誓いを天照大神に行った場所等と思っていたのだがそれは違っていたようである。



 ある文献によると、当初、伊吹山とは関係なく大和朝廷の命を受け、東征に出かけ、それをなし終えた後、尾張国に立寄り色々な経緯があり草薙の剣が光り輝いた場所(ヤマトタケルノミコトの后の家で後の熱田神宮建立の元になったと聞く。)にその剣を置き、その後、伊吹山の神との戦いで伊吹山に向かったと聞く。そしてそこではその伊吹の神々にその戦いで敗れ、その地を立退いたと聞く。そして山頂付近に建立されたその像は、尾張の国をみながら建っているのだが、それはもしかするとその尾張の国にいる后を思い煩っている姿なのかもしれない。


 とは言え、ヤマトタケルノミコトの伝説は東征の後、そこに立ち下界を見下ろす勇士を見せているのかもしれないと・・・。ただ、この近くには高い山がないので下界を見下ろす景色は最高のものがある。

 因みに、ここには自分の足で登ってきたのだが、何時からかこの山にはドライブウェイができ、この山頂付近までは車で来れるように成ったようである。この霊峰は何か今の取り巻く日本の環境を嘆いているような面影が見えるようである。安易にヤマトタケルノミコトが、伊吹の神々に素手で戦いを挑み、敗れる様は今の日本とそっくりの情景を映し出す。相手を甘く見くびると、とんだ痛めにあうと言うことを今の日本人は身に染みてわかっているとは思うが・・・。下界から頂上を見上げ、それを目標にし挑む姿と、頂上に立ち下界を望む姿は根本的には違うと思う。出来れば下界から頂上を望む姿を自分に映し出したいものである。

 人の痛みや苦しみ、喜怒哀楽等が分かり理解できる人間に成るよう心がけたいものである。 Photographer 岡田 朗




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