【a_talk-episode 38】
・・・稲作体験、園児達と共に・・・ | ||||||||||||||||||||||||||||
夢の中で微睡んでいる年明けのある日。ふと脳裏を横切った事があった。それは食についてである。昨今の円安で、その嵐が吹き荒れ軒並み食品関係は値上がりの様相をみる。(同じ値段でも中身の量を少し減している等)その中でも日本人の主食であるお米について関わりを持って作業をしている方を訪ねてみた。
以前にも訪ねたことのある方で、知多半島の美浜地区で自然農法を実践されている白金さんを訪ねてお話をお聞きした。 自然農(川口由一さんの提唱)の3原則は「耕さない」「持込まず持ち出さない」「草や虫を敵にしない」だそうで、不耕起栽培と無肥料でお米を育てる農法だそうである。そして今回は、この農地で種まきから稲の刈り取りまで関わった名古屋市緑区の保育園のイベントとしても初めての試みとして行われたとお聞きし、どのようなものかと、その現場を見に伺ってみた。
ここで実践されていたのは自然農法で不耕起栽培や冬期湛水を施された田圃で稲作を行う方法だそうである。保育園の園児とその家族が参加し、この田圃に何度か足を運び稲を育てるというものである。
ここで不耕起栽培や冬期湛水について少し語ろう。不耕起栽培とは、今の農法では通常稲作の前に田圃の土を、上の土と下の土とを入れ替え、空気等を取込む為に耕す方法を採っているのだが、こちらは耕さず、前に収穫した稲の株をそのまま残し、その周りには藁や米ぬか等を施し、雑草や土の中にいる虫等に田圃を耕してもらう方法を言い、冬期湛水とは、稲刈りが終わった田圃に冬場も水をはる農法のことをさすとお聞きした。これらは農薬等化学肥料を使用しなかった時代には当然のように多用されていた農法のようである。
この事を踏まえ保育園児とその家族は稲作作に関わって行き、この田圃には稲の種まき、苗代作り、田植え(苗代より稲1本を取り植える方法を今回は採用したとの事)、雑草取り、稲刈り、脱穀等様々な作業に関わったそうである。そして今回はその収穫の稲刈り。そこには子供達の真剣なまなざしで稲を刈る姿や、元気な笑い声、そして稲刈りが終わり、今度は稲を干す作業が始まる。稲架(はさ・はざ)を組むのである。この稲架、子供達にとっては格好の遊べる道具なのである。鉄棒のように使ったりジャングルジムのようにその上に乗って遊んだり等、発想の豊かな子供達の姿を垣間見る事が出来たのかもしれない。(大人達はヒヤヒヤものかもしれないが…) そしてその子供達の遊べる場所を取るかのように稲が徐々に干され、朝の7時から始まった稲刈りのイベントもお昼前には終了する運びと成った。
昨今の農業従事者人口のことをすこし考えるに、65才以上がその従事者の70%を占め、その労力を時間給に直すと−460円の赤字だと聞く(2010年の資料で機械設備等に関わる投資が重たくのし掛ってくると聞く。)に及び、何かアメリカナイズされた大量生産と大規模農業がはたして本当にこの狭い国土の日本にあっているのか考えさせられる事柄である。(但し、個人農業ではなく大規模な法人営業の集団農業が出来れば別だと思うのだが、それに立ちはだかる農業協同組合なる巨大組織が立ちはだかっているのも垣間見えるような気がする。)日本の稲作は、古来朝廷の支配であり、そこには伊勢神宮に伝わる古代米も存在すると聞く。それだけ~道に関わる日本人の主食であるのだから、原点に返って生産してみるのも良いのではと思っても見る。
農業に関することわざとして「3粒の種をまく」があるそうで「1粒目は土の中にいる虫たち等の為」「2粒目はそこに飛来する鳥の為」「3粒目は人の為」だそうである。自然農法は循環型(田圃で取れたものは田圃に返す)で行い、無理して大量生産に移行することなく、こつこつと日本人として古来の農法を守っていく方法とお聞きした。現地現物ではないけれど、その場でしか出来ない事もある。一概にグローバルという言葉に踊らされて変える必要もないのでは…。日本の独自路線も必要な時が来たのでは…。
今回の取材の最後は子供達の元気な笑顔が出る集合写真で締めくくった。 Photographer 岡田 朗 |
Copyrightc2006 Akira Okada. All Right Reserued
上記の無断掲載、再配布は固く禁じます。