ある時、夢から覚めた様にその場所を目指している自分がそこにいた。そしてふと手元を見るとそこには新年に向かって新しく作り出されるであろうオブジェのパーツが並べられていた。
そうここは岐阜県中津川市にある「栗くり工房」の制作用デスクの上である。いつも斬新な情報を伝える側で、多くの方に喜びを伝えることを念頭に行動をしているのだが、今回は実体験をしたくこのオブジェ作に参加をした。
何を作るか・・・。それは毎年この「栗くり工房」主宰の栗谷本先生が考え出されるアイディアにより作り出される新年の干支に因んだオブジェと聞く。因みにこの「栗くり工房」では通年でオブジェ作り等の教室が開かれており、多くの生徒さんたちが参加されている。と言うことで、今回は他の生徒さんに混じってこの教室に参加をした。それから少しお伝えするが、これらの教室等で使用する材料は中津川市周辺で取れた地元の木の実等の自然素材だそうである。
今回はこれらを利用し、新年の干支に因んだ「見ざる、聞かざる、言わざる」を制作すると言うことである。ともあれ机の上の素材等に目を通してみた。完成したオブジェを見れば一目瞭然なのだがそこには二股に分かれた栗の木があり、稲の俵があり、そしてベースとなる材木素材が置かれている。そしてその脇にはさるのオブジェとなる素材が各パーツ(見ざる、聞かざる、言わざるの3種)に分けられて置かれており、その中には松毬やさるの各パーツに成るべき木の実等が所狭しと納められている。
ここで、さるの各パーツについて自分で理解できた範囲でお仕えするのだが先ずは胴体、これは一目見れば分かるのだが松毬である。それから頭はとちの実、足は唐松で手はや耳はそれらから応用したもの(派生したもの)を使用する。先ずはともあれ先生の指導のもと作り始めるとしよう。
まず先に眼に入ったのは二股に分かれた栗の木の綺麗さである。皮がむけてありその表面はつるつるに成っており、これも先生がこのオブジェ作りに先立ち色々と工夫をされた一つのようである。台座になる木の上に稲の俵をボンドで接着しそれに栗の木を刺し、その木の先端にはドングリで整え、その木の後ろに「見ざる」を制作することから始めた。「見ざる」のパーツとなる松毬ととちの実、唐松等の実を接着し制作し、眼は白い大豆を半分に割ったものを利用しその眼はマジックで書き込む。この目の表現で最終的な形が出来る。これを稲の俵の上の栗の木の後ろに隠れた姿を意識し「見ざる」を表現する。
次に「聞かざる」「言わざる」を同じように制作するが、その一部においてはそれぞれの個性を尊重し使用する素材を変更する。例えば聞かざるの耳にはコーヒー豆(あっ、これは中津川産ではないのかも・・・)を利用するといった点である。そして約1時間30分をかけて先生のアイディアからの展開としてそれぞれの個性を尊重しつつオブジェ作りが完成するのである。
以前、常滑のリクシルの博物館においてタイルを利用したオブジェ作りに挑戦したのだが、30分位で完成すると唱われたいたものが実際に制作してみると少しのことに対しての拘りが生まれ、この制作に約45分くらい費やしたのは自分だけかもしれないが、この時間が楽しいものである。この約1時間30分の集中力が続く楽しさは、もの作りの原点であるかもしれない。機会があれば体験することをお勧めする。
ところで話は変わるが、「見ざる、聞かざる、言わざる。」の語源を紐解いてみると「自分に都合の悪いもの(心を惑わすもの)や、他人の欠点は見ない、聞かない、言わないに越したことはない。」と言うことみたいである。ただ、ふっと我に返ってみると、昨今の世の中、常に何事に対しても黙っていた結果、箸にも棒にも掛らない世の中に成ってしまったのではないかと問いかけたい気もしないではない。
個々で考えることではあるが・・・。 Photographer 岡田 朗
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