【a_talk-episode 50】

・・・大須から白川公園界隈・・・

 正月の喧噪も過ぎ去りしこの頃、寒さも一段と厳しき成るこの季節。一人そぞろ歩きを大須(名古屋市中区大須)から白川公園に向かって歩みを進めてみた。


 まず大須で見たものは巨大な寺院に変貌しそうな織田信秀ゆかりと聞く。
萬松寺、この寺は信秀の時代に那古野城の南側に織田氏の菩提寺として建立され、それが徳川時代に今の大須の場所に移建されたと聞く。今回尋ねた時は巨大化の一歩なのか新たに工事が進捗され大須の街の中心部にそれとは似付かわしくない工事のフェンスやトラ柵等が所狭しと並べられていた。お参りするのも躊躇うような・・・。

 そこからこれも織田氏ゆかりの総見寺を尋ねた。この寺も元々は三重県の川越町の西明寺であったと言われそこから元の清洲北市場に移されその後清洲越えと共に大須に移されたと聞く。そして織田信雄が
安土総見寺にならい総見寺と改めたそうである。これら織田家に関わる由緒のある寺を訪ねた後、大須で一番有名と思われる通称「大須観音」を尋ねてみた。


 この大須観音も元々は岐阜羽島にそのルーツはあり徳川家康のよってこの大須に移建された。
尾張三十三観音霊場の第一の巡礼場であるこのお寺の正式な寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と称し、公称は「宝生院」だそうで、一般には大須観音の名で知られる。日本三大観音の1つとも言われる観音霊場であるそうで、なごや七福神の一である布袋像を安置するそうである。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」があるとも言われ、由緒正しきお寺だそうである。(ウィキペデア等フリー百科事典参照)日本の三大観音(東京の浅草観音等)と言われる名古屋の大須観音もお正月の喧噪から少しは落ち着いた表情を浮かべながら今回の参拝等を迎え入れてくれたような気がする自分がそこにはいた。

 今、この大須に佇みふと思ってみると、この大須という地区に点在する多くの由緒ある寺院は元々からこの場所に建てられたものではなく、時の権力者用の意志により集められ移建されたものであると言うことが聞こえてくるのである。何となく心の片隅に一つの寂ししさが飛来するのはそのせいかもしれない。


 この場所に少し滞在して次に向かったのは名古屋市中区栄二丁目にある白川公園、そして、その中にひときはその存在感を放っている名古屋市科学館へ向かった。その建物の中には大須で味わえなかった時空がタイムスリップにでも掛ったようにその目の前には現代の科学と称されるものが所狭しと展示されていた。またそこには幾つもの体験ブース併設がラボと称されて存在し、大まかには生命館と理工館に分かれておりそのそれぞれに生命ラボ、地球工房、放電ラボ、極寒ラボ、竜巻ラボ、想像のひろば、水のひろばそしてサイエンスステージ等が提供されている。ここには小学校四年生から多くの子供たちが見学や体験に来るみたいなのだが、半日は色々なアトラクション等に参加することであっという間に過ぎてしまうだろう。今回、ここを尋ねるに当たり、もっとも期待したかったのがプラネタリュウムの体験である。プラネタリュウムがあると言うことは宇宙に対しての展示も資料も多く存在しその成り立ちや興味のあること等が簡単に学習できる環境が整えられている。


 それらの多くを期待し今回はプラネタリュウムを体験した。円形ドームに広がる満天の星空。圧倒されて見入っているとすぐ隣にいた親子連れの五歳位の子供が泣き出した。一言言わせてもらえば満天の星空は子供には怖い存在なのかもしれないと言うことである。実際これら天空を見るのにリクライニングシートが施されているのだが全体を見渡せる角度を採られておらず長い体勢で見ていると首が疲れるのである。それと今回は江戸時代に纏わる暦の話等で星に対する夢物語等とか浮かんでくるような心温まる上演ではなかったように思える。また今回は冬の星座のみの表示で四季の表示は致されなかったが天体としてはもう少し星全体の話と夢物語とを混ぜた上演を期待したい。説明文の表示方法(北の方位から見た見やすさだけでは無く、全方位から見やすくする為に同じ説明文を対角線上にもう一つ表示させるとかの工夫)も含めもう少しの改善が必要なのかもしれないと思うのは自分だけか・・・。 
Photographer 岡田 朗





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