【a_talk-episode 52】

・・・まだ見ぬ景色を求めてin八百津町(旧八百津発電所と杉原千畝)・・・

 まだ霧も晴れやまぬ田舎街道をひたすら旧八百津発電所資料館や杉原千畝記念館なるものの情景を心に浮かべ、それが存在する所へ心が動いた。そこへ向う道すがらで近々祭りがあるのか神社等で煌びやかな飾りや垂れ幕がその準備なのかそこかしこに施され、それらに心を引かれながらにも思うその先へと足を向けた。


 そう、その目指す場所とは岐阜県のほぼ南部に位置する八百津町である。岐阜県に
2村しかない村の一つである東白川村へは一年を通じて何度も伺ってはいるのだが、その進路の通過点から少し離れていたこの八百津町なるものが、どの様な街なのかは一切の知識も記憶もなく、心を躍らせながら先ずは旧八百津発電所資料館等に伺いつつ、この街の空気感を感じてみようと伺った。


 道すがらの祭りについては旧八百津発電所資料館の置いてあった資料によると、
4月に行われる祭りで八百津町祭り(だんじり祭り)、久田見祭り(六両の絢爛豪華な絡繰りもある山車が出る祭り)が有るそうで八百津にも春の訪れを感じさせる祭りだそうである。そして、この地に八百津発電所なるものが出来たのは木曽川水系においてその最古の水力発電所だそうでその建造は明治(44年)に遡るそうである。この風光明媚な木曽川水系に水力発電なるものを造られる事に成ったきっかけは、福澤桃介(福澤諭吉と養子縁組をした人物)なる怪物がそこには存在しからだそうで、別名「電力王」「電気王」と呼ばれているこの人物がこの地に外国からの技術影響を受けた水力発電所なるものを造らさせたと聞く。

 この福澤桃介成る人物は当時の名古屋電灯や大同電力企業に関わり木曽川水系の電源開発に資力を尽くした方だそうである。この方が携わった八百津発電所の屋根はその当時(明治〜大正)のヨーロッパ建築をまねたレンガ造りのアーチ型建築であり、それは随所に見られ、またその発電方法は木曽川から引っ張ってきた水を上部の貯水槽為、そこから落差を利用し
3組の水車を利用し発電する方法(約7,500kwを発電)を採られたそうである。この発電所はこの時期から昭和にかけても利用されたそうである。


 因みに、少し話をすれば外観と内観の壁等の所々で建物の強度を保つ為にもレンガを使用したアーチ型で施されており、これらに拘った要素が必要であったと言われているのであるが、それが優れた造形美にも仕上がっているのであると感じる。また内部のその発電施設と送電環境等訪れる者を飽きさせない造りになっている様である。
1階には発電に使用したと思われる巨大な水車使用のタービンがありその部屋の天井の高さと言い圧倒される大きさである。またその所々で使用されていたと思われる部品等が昨今のデジタル化された計器類ではなくノスタルジアを感じさせるようなアナログの計器類等が至る所に使用されている光景は絵に成るのである。そして壁を隔ててその隣の部屋にあるのは送電設備である。碍子等使用した送電方法はこれもノスタルジアを思わせるものである。そしてこの送電施設の2階にはこの発電所の歴史や発電所に纏わる事柄等パネルで色々と情報をみせ、その時代背景では各時代の営みにおけるその資料(電話、冷蔵庫、衣服、精密機械等)等が所狭しと展示されているのである。見る者を飽きさせない工夫がされているのである。これらを見ていると何となく心が安まるのである。


 次に伺ったのは昨年来映画にも成って持て囃されているこの八百津町出身の外交官杉原千畝に関する所へ伺った。杉原千畝なる人物も知らなかったし「命のビザ」の事も記憶には無かった。ましてやこの人物の生誕の地など露さえ知らなかった。この方については次回にご期待願いたい。

 今回の最後に一言、古き良き時代を味わえる建物や空気感等は多く存在しないかもしれないが、最初から一般人が味わえない多くの公共と付く名の施設は如何なものだろうか。技術立国の日本、おもてなしの心を有する人、自信を持って公表する事こそ国民の協力を得られるものではないのかと改めて問いかけるきっかけに巡り会った気分である。   
Photographer 岡田 朗






top

next



Copyrightc2006 Akira Okada. All Right Reserued
上記の無断掲載、再配布は固く禁じます。