旅は突然に始まり、そして突然に終わるものである。旅への誘いは何処からともやって来るものである。この八百津町に関しては前々回でお話をしたように木曽川水系最古の発電所と言われていた旧八百津発電所資料館に興味を引かれそして訪ね、多くの感動をもらい、次にこの地に生誕した外交官杉原千畝の物語を語り始めたところで終わっていたと思う。
現在この地(八百津町八百津)には杉原千畝記念館という目新しい建物が建っている。そう映画が上映されたからである。タイアップで出来たかどうかは定かではないがまだ完成されたばかりであろうと思える綺麗さがそこには漂っている。さほど大きくはない建物に入るのにやはり入場料なるものが発生し、その中の展示物と言えば手紙類等が大半を占める。それは何故か。杉原千畝なる人物は第二次世界大戦真っ直中において、その外交官としてリトアニアに滞在し、時のナチスドイツから逃げてきた多くのユダヤ人難民に対して日本のビザを発給(命のビザと称されている。)し日本経由で他国等に逃れさせ命を救ったとされていたからである。そのお礼の証としての手紙が保存されていたのである。そしてその執務室等の再現やその資料等が所狭しと展示されているのである。
ただ、少し残念なのはこの資料館そのものが新しく、まだこれから色々と味付けが施されるとは思うが、今は少し上部だけの安っぽさがどことなく漂っているように感じた。感動が少なかったのは自分だけかも知れないが…。ただ、この日に訪れていた観光客は日本人であり前号でお話をした白川郷みたいに多くの外国人をウエルカムしたいが為に媚を売っている姿は、何処にも感じ取れなかったのは良かったのかも知れない。
それから、この場所にはこの記念館だけではなく屋外公園には色々なモニュメントが施されており見る者の心をたのしませてくれる演出もされている。
この心温まる場所から次に向うのは東白川村である。何故、東白川村に向うのか…。岐阜県に2村しかない村の一つで明治維新際の廃仏毀釈が行われた時にお寺が全て無くなって神社のみしかない村で唯一その名残として村役場の前に石碑(南無阿弥陀仏碑)が有るのだが、それが見事に縦に真っ二つに割れているのではなく、驚く無かれ、縦の切れ目が真上から見ると十字に割れていて四つに分かれているのであると聞く。また日本一の「つちのこ」発見率が高い村としても有名なのだそうである。(つちのこに付いては不確実情報ではあるが…)
その村をめざし一路山道を北へ北へと駆け上るルートを選ぶ。ただ八百津町にももう一つの大きな集落があるようで、通過した久田見には毎年行われる六両の絢爛豪華な山車が引きだされ、荘厳な祭りが繰り広げられるそうである。
この地を過ぎ白川町内に進み、今もオルガンの製作をしている工場があると聞く黒川地区から、まだ出来立てと思える真新しいトンネルを通過し(やはり田舎の生活には欠かせないトンネルなのかも知れないが、そこを通過する時、一人のご婦人が東白川村の方に向って歩みを進めていた。トンネル内の真新しい照明の下で約1キロ有ると思われるトンネルの中の側道での出来事である。トンネルを超えたところに集落は無いと思うのだが…、少し背筋が寒く思えたのも事実かも知れないが…)そして東白川村に入れば自然豊かな風光明媚な田舎の風景がそこには存在した。
この東白川村は約2,500人の村民が暮らしていると聞くが、自然の方が勝っているようである。そして、この村で一番大きな集落思える所に村の役場があり、その役場の前には目指す石碑が鎮座していた。歴史を感じさせるものである。そしてこの村にはお寺がないことから、葬祭も神道形式で行うようである。ただ素朴さがいっそう増すこの村にも観光客や体験学習等で訪れる人々が利用する施設も有り、また映画等のロケの現場になったこともあるそうである。
ただ此処には一切の外国人観光客に対する媚がないと思われるのである。それがこの場所を訪れた者に対しての心温まるお持てなしをしてくれると実感するのである。八百津町も然りである。Photographer 岡田 朗
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