一昨年で有ったであろうか、バスツアーなるものを体験しその感じたことを記述したのは・・・。そのバスツアーなるもので今度は古きを温めて新しきを知る行為を体験させて頂いた。
それは約40年位前に訪れたことのある村で、岐阜県に2カ所しかない村のその一つである大野郡白川村の荻町集落に存在する合掌造りの郷、白川郷である。この合掌造りはここ荻町集落と富山県の五箇山(相倉集落・菅沼集落)が存在しユネスコの世界遺産に登録されたそうである。世界遺産登録に邁進したその姿は、この地域で住んでいる方々の並々ならぬ努力の成果だとも言われている。
全体的に観ると、その茅葺きの織りなす情景が、いかにも日本の古来からの知恵が詰まっているようで、観るに耐える非常に心地良い事に思えるのだが…。ただ、自分の心の中で少し寂しいものを感じ取ってしまった。それは、40年前と比べて本当に味気なくなってしまった茅葺き屋根のその合掌造りの風景。新しきを知るにその昔の知恵が息づいているのか疑っている自分がそこにはいるのである。
合掌造り、その集落を歩いてみると、屋根は茅葺きだが道は観光客の為に整備され、道端の風情はそこには感じられなく、町造りと言えば金太郎飴のような何処を取っても民宿とお土産物屋で、その看板まるけである。そこに住む方たちの息遣いが感じ取れないのである。観光客目当てのでっち上げた施しではなくである。40年位前に伺った時は今のようなでっち上げた世界では無く、実際そこに住んでおられる方々の伊吹が感じられたし、合掌造り等がかなり傷んでいて、今にも朽果てるのではないかと思えるようなものもそこには存在したが、そこには日本人が感じることの出来る情緒が存在したのである。(そこに住んでいる方には申訳ないが絵に成ったのである。)
ところが今はどうか、何処かの誰かが昇竜道と名を付けて観光客を周知している様ではあるが、ここに来ている多くは中国、韓国、フィリッピン、タイ等の東アジア系の観光客であり、それとブラジル等の南米系観光客、少数ではあるが北米、ヨーロッパの観光客がそれにつづくように見られる。訪れていること自体は悪くないのだが日本人の情緒が分かって観光して頂ければよいのだけれど…。その中で日本人と言えば肩身を狭くし楚々と観光を行っている様子を見かけるのである。
観光地とは他国でも分かるとは思うが、他国の観光客が多く訪れている場所でも、そこにはそこで暮らすそこの住民の姿があり、またその地方で暮らす人々の営みが如実に表われており、他国から訪れた観光客の為にわざわざ何かを施しているのかと言えば、そうではない。そしてそこを訪れる自国の観光客が一番心和む場所なのである。少し本末転倒な現象が起きているやもしれないのである。
今回の白川郷を再探訪して思うことは、他国から来た観光客にいかに馬鹿げた施しをしているかと言うことである。この場所を訪れて感じたのは、本当の意味で、合掌造りなのは農機具等が仕舞ってある納屋の朽果てそうに成っていた茅葺き屋根の姿ではないかと言うことである。その所でその人々が普通に生活を送っている姿で、ただそこには歴史があり昔からあるもの(有しているもの)を大事にして残してこられたその姿が美しいのであり、そこに観光資源が有るとすれば非常に喜ばしいことで、観光客がそれらを共有出来ればお互いに心を温める事が出来るのではないかと感じる次第である。
それともう一点、お土産物について、そのラベルを見るとその場所で造ったものは殆ど無いように見受けられる。これは色々な観光地と証される所に伺ってもほぼ同じである。地産が一番だと思うのだが…。
最後に、残念ではあるが今の白川郷(萩町集落)は日本人にとって心温まる場所では無かったように感じるのである。何となく気ぜわしく周りを気にしながら時間が過ぎていく場所のようである。今回は記憶の中の存在を呼び起こす為に伺ったのだが…。 Photographer 岡田 朗
|