【a_talk-episode 57】

・・・郡上八幡という町を尋ねて・・・

 大垣城で石田三成の儚さを感じ取って時は過ぎたが、その儚さを模倣した城があると聞き心が動いた。そこは明治維新の際に時の政府の命令で取り壊させられた郡上八幡城天守閣がそれであり、そこから昭和8年に大垣城天守閣(昭和20年に空襲で焼失する前の国宝天守閣)を模倣し造られたと聞く。


 当初は大垣城からの流れと金沢、富山等北陸へ行く時や冬場シーズンにて奥美濃の山々へ行く時の単なる通過点であり山城の綺麗な姿が美しいと思いながら通過するだけの町であったのだが、今回その姿を見せていた郡上八幡城に心引かれ尋ねてみた。


 だが、その場所は城だけの美しさではなく町全体の美しさがあると実感した。先ずはお城である。その山城における優雅な佇まいは、少し遠く離れた場所から眺めてみても、それこそ今はやりの天空の城に見え、幻想的な情景が醸し出されているのである。ただ先にも記載したが残念なことにこの城は昭和の時代に造られた城であると言うことである。


 武士の時代と公家の時代、そして明治の時代は後者とデモクラシーが融合した時代であったが為に、武士が造り上げた城というものを否定し、そのシンボルたるものを取り壊したのかも知れない。

 この城は戦国時代等で華々しく活躍した武将の城と言うことではなかく、遠藤家や青山家という武士の時代に素朴に生き抜いたその地区の行政を司った領主でしかないのである。ただ、この山の中のお城さえも取り壊した時の為政者(廃仏毀釈も行った。)、残念だが時代がそうさせたかも知れない。


 ただ、新しく立てられた創作物のお城は、その姿が芸術的で幻想的で周りから見ても絵に成るのである。飛抜けた高さではない八幡山(
354mの標高)に建つ45階建ての木造建築は、白亜の城として完成されたのである。また少し残念なことでは有るが、日本100名城には選定されなかったと聞くと少しの寂しさを感じるものである。しかるに、その標高の天守閣から町を見下ろす風景は、遠くの山々まで一望でき壮観な景色が気分爽快にさせてくれるのである。

 そしてこの城から見下ろした町が城下町郡上八幡市街である。この城を再建させたのも城下町に住んでいた多くの民衆の力である。そしてこの城下町には有名な夜を徹して踊る盆踊りやこの町の中心を流れる吉田川への橋からのダイブ、水路が張り巡らされその水の流れる街並の景色や情景が思い浮かぶ。


 単に通過する町であったので、城下町としての由緒ある街並や、個々の個性有る博物館(資料館等)や個々のお店(地域産業の展示資料するお店、食品サンプルを作っているお店等)等存在すら知らなかったのである。この感性豊かな街並を歩いてみると色々と刺激を受けるのである。

 次に子供達のダイブで有名な吉田川。実際その場に佇みその橋から下を覗いてみると、やたら高いのである。橋には川面までの距離
12mと記載があった。正直、ゾッとした。ただ、この橋からこの吉田川沿いを眺めてみると、川岸に佇むその建物等(絵に成る感性豊かなレストラン、宿泊施設等)の造形美は、そこを訪れる旅人を和ませる力は十分に備えている。


 また、この町には盆踊り等に使用される目抜き通り通り等古い街並が整備され、美的センスを備えた佇まいが垣間見えるのである。古きを大事にし新しきを備える心が、至る所に見え隠れするのである。城下町らしい寺社等も鎮座し民の心を和ませる。この町中で夏の特にお盆の期間中には昼夜を問わず繰広げられる盆踊り(郡上踊り等)、さぞ迫力があるのだろうと想像してしまうのは、自分だけではないと思うのだが・・・。


 本当にこの町は散策に事欠かない町であると実感した。城と城下町、絵に成る場所を一度訪れる事も良いのでは・・・。

    Photographer 岡田 朗








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