【a_talk-episode 7】

・・・知多半島をロケする・・・
 まだ朝靄のかかる午前4時、僕はそこにいた。知多半島道路の名古屋側に位置する大高ゲートである。今回は知多半島という名古屋から最も近い風光明媚な場所へ誘ってみた。


 まずはここから南へ進み南知多道路に入る。朝も明けきらない薄明かりの中で、何とも得体の知れない巨大な建物が三河湾を挟んだ対岸に佇んでいた。多分、中部電力の碧南火力発電所だとは思うのだが、とても異様に見えてくるのである。昨今、話題を振りまいている東北(岩手、宮城、福島等)の瓦礫処理はこの一角で愛知県分が処理絵をされるのかな・・・と。その瓦礫処理の反対をする意見も聞こえてくる。とやかく言う前に、一度、愛知県から観光バスをチャーター(県税で対応)し、それを連ねて被災地の東北を訪ね歩く事も一考かもしれない。そうすればこれらの処理についての見方が変わるかもしれないと思いつつ、対岸の衣浦港から手前の民家を絡めてシャッターを切った。

 その後、武豊インターで南知多道路と別れ、知多半島の美浜町西海岸へと向かった。

 知多半島の西海岸は風光明媚な伊勢湾に面し、中部国際空港セントレアと関わりながら道を進めると、そこには名古屋鉄道が運営する南知多ビーチランドが現れる。昔では有るが、僕もこの南知多ビーチランドへは仕事で何度も訪れたことがあり、盛況だった記憶も蘇る。ただ今回訪ねてみると、まだ明け方と云う時間帯のせいかもしれないが、建物を見る限り何となく古くさが目立っていると感じた。常に新しいものへの取組み(拘り)が、その表情として建物に現れてこないように見えるのである。少々寂しい思いが付きまとった。ただ、このビーチランドからも中部国際空港セントレアを含む伊勢湾と対岸の伊勢平野方面等の景色が見える。見入ってしまうのは僕だけだろうか・・・。。

 その景色を心にしまい、次に訪れたのは野間灯台である。恋人たちの憩いの場として、その証で多くの南京錠等の鍵が、恋人たちの思い出の場所と絆の場所として、多くの鍵が恋人たちの手で取付けられているみたいである。ある種、神聖な面持ちを醸し出しているようである。心温まるスポットである。


 話は少しそれるが、この地には野間大坊が有るのも忘れてはいけない。今年のNHKの大河ドラマで『平清盛』が放送されているが、そのライバルでもあった源義朝の最期の地としても知られているのである。このお寺の中の一角を占めている義朝公のお墓には、何やら得体の知れない冷気が立ちこめているようである。


 また、以前、この地にあったフィールドアスレチックパーク『内海フォレストパーク』が閉園の憂き目にあったと・・・。この場所へは仕事絡みで何度も伺ったのでとても手も残念に思えた。。

 そうこうしている間に、いつの間にか南知多町の豊浜漁港に着いた。ここら付近には、他に師崎港や日間賀島や篠島等漁業の盛んな地域が多く点在する。自称食いしん坊の方は、海の幸やその料理にとても満足させられるだろう。

 
その後、知多半島の東側、三河湾に接する海岸を北上するすると突然目の前に先ほどの風光明媚な業業の町からリゾート地かと錯覚させられるような場所が現れる。そうチタナポリだ。リゾートという何相応しい建物がそこにはそびえ立つ。


 そして今回南知多町を訪れるに当たって、もう一度みたい場所があった。これも以前南知多町の町政要覧でお手伝いした時に知り得た場所だが、この半島先端の港町の風情が漂う場所にその丘辺りに広大な農地がある。国策事業とお聞きしたのだが、これには驚嘆に値するものであった。それは広大な敷地である。ただ、今回尋ねたキャベツ等農作物が作付けされているにも関わらず雑草が生えて、朽ち果てているような場所を見てしまった。ここでは詳しくコメントするのは控えるが少々寂しい思いがしたのは自分だけであろうか。

 最後に、知多半島の風光明媚なところとバブル崩壊後の衰退したところ等心に刻みながら、僕の知多半島一周約100キロの旅は東海岸、半田まで上り終わる。

          Photographer 岡田 朗


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