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・・・大阪シリーズその2・海遊館と道頓堀・・・
 前回、大阪城での思うことを書かさせていただいたが、今回はその続きである。大阪城を離れ次に向かったのは大阪港の地域の天保山ハーバービレッジにある水族館の「海遊館」である。この近くにはユニバーサルスタジオ等の巨大イテーマパークがあり、海とマッチングするその風景は中々の見応えのある風景である。 そして今回は冬場で最も人の出入りが少ないであろう水族館の海遊館を訪れた。

   


 この海遊館は1989年に建物が完成し施設としてはその翌年にオープンしたと聞き、そのコンセプトは「地球とそこに生きる全ての生き物は、互いに作用しあう一つの生命体である。」であり、その一つとして「環太平洋火山帯」と「環太平洋生命体」を解りやすくコンセプト内に取入れ、強大な水槽等でその生き物の生態を展示しているようである。その建屋の基礎データとしてはイギリス人の方が設計をし、地上8階建で、その延床面積は27,200uで、その中に納められている水槽の規模は11,000トンの水量を要する大きなものだそうである。

   


 この建物の中心に鎮座した水槽の中には巨大なジンベイザメやイトマキエイ等の魚類が多く存在し3階をくり抜いた水槽をらせん階段の様にスロープを上ったり降りたりと多くの魚等が一度に見える水槽は見応えのあるものである。また、この巨大水槽の脇にある個々のテーマごとの水槽も、それぞれのテーマに合わせてカメ、アザラシ、アシカ等や魚類や植物等が展示されており、見飽きることのない造りになっている。

   


 見飽きることがないと云えば、クラゲの展示場もその一つで有る。水槽に映し出されたその色彩、光のコントラストやクラゲのダンス等、まるでエンターテーメントを見ているようで、そこに立ち止って見ている時を忘れるようである。

   


 そして最後はこれらの動物やらとふれあいの場所(階)があり、そこで色々な体験をし外に向かうという導線が設けられている。

 この海遊館、建てられてから早約30年が経過しているので、建屋や館内の養生等、やはり所々に綻びが生まれてくるように見えるのである。ペンキの剥げ落ちた部分や汚れ等が点在し、これらをどの様に再生していくのかは、興味が沸くのである。

   


 次に向かったのはマスコミ等でよく取上げられている大阪の有名な場所の道頓堀。コロナ禍に少しなる前の事だったのでまだ外国人観光客が大勢訪れており、多国語が飛び交っていた川沿いの街並みを少し覗いてみた。そこには有名なグリコの看板や、くいだおれ太郎の動く人形、ダイブが行われたであろう道頓堀川に掛るえびす橋の欄干等々中々刺激的な街並みで、夕暮れ時からはネオンや照明が瞬く歓楽街でとても刺激的な街になるのである。今回の目的とした大阪城探訪から大阪港にある水族館「海遊館」を訪ね記憶と感動を頂き、その道すがらであった道頓堀を訪ね夜の雰囲気も味合わさせていただいた。

   
   


 今回の大阪城は元々は大阪本願寺の拠点が置かれた場所であり、大阪湾に突出た半島であったと聞き、その周りは当然海であり、今の大阪城界隈の街並みが造られてきたのは、大阪本願寺跡付近に出来た大阪城が完成され、豊臣時代に近場の海が埋め立てられ、江戸時代には本格的に埋め立てが進められた聞く。東京のベイエリア等も海を埋立てた土地の上に街が構築されたのであり、大阪もこの大阪城のある台地からその周りの海を埋め立てて今の都市が形成されたと・・・。ある意味、海遊館も道頓堀もこれらの中に立てられた建物であると今更ながらに思うのである。

   
 


 因みに、今回この大阪地区を訪ねるにあたり、名神高速を通行する高速バスを利用したのだが、滋賀県甲賀市の信楽付近は雪国であった事を付け加えておこう。これからの大阪、歴史に基づいた本物志向を模索されることを期待したい。  Photographer 岡田 朗




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