【a_talk-episode 65】
・・・粋な旅そのT『バスツアーで巡る松本城探訪』・・・ | |||||||||||||||||||||
少しの荷物とカメラ機材を持ち、人が集まるテレビ塔脇公園駐車場に漫ろ歩く一団の後に付き、そのバスツアー成るものの集合場所に近づいた。3月という寒さが残るこの時期に信州の松本城と白馬方面へ旅する一泊二日の工程である。
遠い道のりを超え、初日に訪れたのは国宝松本城である。この城は戦国時代の信濃府中と呼ばれた時代に建造された深志城が始まりとされ、その後の動乱(武田信玄等との戦い。)で元の信濃の守護であった小笠原氏が戻り、城の名を松本城に改めたと聞く。そして日本最古の5重天守と聞くに及び、その勇士の黒さが際だった輝きを発していると感じたのは自分だけでは無いと実感する姿である。
今までに国宝と付く名の城は幾つか尋ねることがあったが、総じて言えるのはその造が今風に大きくないと言うことである。国宝以外の城で新しく復元された城は現代にマッチしたその大きさに成っているが国宝の造は内装が狭いのである。(犬山城然り)今の日本人は戦国時代と比べ体型が大きくなり、城に備えた武器や戦法を使うとすると少し窮屈なのである。また公式にはこの呼び名は無いそうだがその勇姿を称して「烏城」とも呼ばれるそうである。そういえば格調高く黒で施されたその造は別名で呼ばれることも何となく納得である。
この城の周りは、堀が施されており、その周りを散策してみると三つ葉葵の紋のある神社に出くわしたり、お堀で優雅に遊ぶ鴨の群れを見たり、それから少し城内に進むと、昔の二の丸御殿跡史跡公園等、心安らぐものや面白いものが目に飛び込んでくる。そして興味をそそる少し面白いものを発見してしまった。それは正門等に施されている家紋である。この城は代々城主が変わることに家紋が変わり、その時以前の家紋も残されたようである。その中には皇室から送られたであろう桐の家紋も施されていた。(太閤秀吉の家来であった石川数正が太閤秀吉より譲り受けたものと聞く。)権力の中枢には、やはり畿内の勢力が存在している姿を改めて実感するのである。
何はともあれ、この築400年余りを誇る戦いの為に造られた国宝の城はその現存する五重天守は風格があり、そこに訪れる者の心を打つのである。 次にその勇姿に隣接する松本市博物館に寄って、この土地の産業等に触れ合ってみるのもお勧めする。内容的には松本市の歴史、歳時記、産業等の主だったものがパネル展示や立体の工芸品等が展示されており、この尋ねた時は3月であったので立派なひな人形とひな壇が備え付けられてあった。
そしてこの松本の地で最後に尋ねたのは、古い街並等をその中心に流れる女鳥羽川沿いに、新しい界隈の創造して施された縄手通りである。それが始まると思える入口付近には巨大なカエルのオブジェがある。このカエルのオブジェは東京芸術大学2005年の学園祭で、そこの学生達が造作した御神輿であり、カエル繋がりで、その心意気を感じた松本市の関係者が、このオブジェをもらい受けるべく東京芸術大学に赴いたそうである。
この盛況感を心に受けながら今回のバスツアーの宿泊先である小谷村(白馬)のホテルに向うのである。
これは個人的主観なのだが、長野県の県庁所在地は長野市である。ただ長野市は、長野県の北部に位置し松本市は県の中央に位置する。どちらかと言えば松本市に県庁があってもおかしくないのだが・・・。そういえば、その史実が有ったようにも聞く。地域の人々の心の葛藤を思うばかりである。 美しい街、松本である。 Photographer 岡田 朗 |
Copyrightc2006 Akira Okada. All Right Reserued
上記の無断掲載、再配布は固く禁じます。