【a_talk-episode 71】

 ・・・井伊家が愛した国宝彦根城を訪ねて・・・
  琵琶湖のほとり、滋賀県彦根市に存在する城で井伊家が建立し幕末まで長きに渡り愛し続けた彦根城を今回は訪ねてみた。


 今にも雨が降り出そうとしているなか、中堀に掛る京橋のつけ根(京橋口)あたりから内堀の表門橋を通り、今開催中の彦根城博物館を右手に見てチケット売場で入場観覧券1,000円成りのやや高額のチケットを手に入れ国宝彦根城の本丸の敷地に入っていくのである。


 ところで、先ほど説明した彦根城博物館なるもの、ここでも入館料500円を徴収するのであるが、今開催されているのが、以前、女城主直虎のイベント館が浜名湖の北に位置する東江の気賀関所跡の近くでドラマが始った時にドラマ館なるものが開設され、ここで入館料600円(少し記憶が定かではないが・・・)を払って、今放送されているドラマについてその歴史や資料について見聞きをしてきたので、ここでも同じようなものだと思い、入館を躊躇った。ただ、そこの塀の中の庭の一角で今話題のゆるキャラ、「ひこにゃん」のオンステージが始まっていた。中々の人気のようで、多くの観客が集まっていた。


 そして、ふと空を見上げると雨が気になりだし、天守閣のあるその場所へと急ぎ向った。しかし、さすがに国宝の城である。天守閣に着く前にその櫓に積まれた古い石垣のどことなく重たい雰囲気が、その場所から醸し出される歴史を感じ取る事が出来る様に思われる。そして天守閣である。国宝である天守閣は元々大津城にあった天守を移築し、その他の櫓は、かたや長浜城から、かたや佐和山城から等々移築したものと聞く。


 ここで少し国宝の城について語ってみたい。今現在、天守閣が明治の廃城令や戦争、火災、天災を免れて残っているのは12城しか無いと聞き、これ以外の城は後で再建復興されたもので、この12城の中で天守が国宝になっているのは5城になっていると聞く。その中の一つが彦根城だそうである。しかしこの城も明治の廃城令により取壊しの運命に晒される処であったが、明治天皇がこの付近を巡幸されたおり、その美しさ等に感動され解体せず保存が決まったと言われている。


 そしてこの彦根城のそもそもの成り立ちは、関ヶ原の合戦後に石田三成の居城であった佐和山城を一掃するため、徳川家康公の命により造られたと聞く。当初は琵琶湖湖畔の磯山に造る予定が、この地を徳川家康から与えられた井伊直政(佐和山城に入城)の後継で、直継の代に彦根山に決定し着工されたと・・・。そして20年の歳月を掛け堀を内堀、中堀、外堀と3重に施し、それぞれの堀に囲まれた場所には、井伊家当主の居住場所や主立った家来等の屋敷があり、その他の下級武士や町民等の住居も併せた城下町が完成した時は、直孝の代になっていたようである。


 また井伊歴代の殿様は徳川時代になってからの城の完成であったため(平和な時代)殆ど天守閣へは訪れなかったようである。そしてこの天守閣、やはり国宝である。犬山城、松本城然り天守に上がる内部階段が狭くて急なのである。登る時はまだしも、下りる時は少しの恐怖を感じる位の角度があるのである。また、400年以上の歴史があるためにその内部通路等は当時の侍に合せてあるため狭くて低い造になっている。天守閣自体は巨大なとは言えない位こじんまりとした造でそれは犬山城の造にも似ているのである。


 標高136mの平野城で、その天守から街並を望むとそこには整然と広がる町や等の風景がある。井伊家歴代の当主が愛した街並という事も頷ける。またこの敷地内には井伊直弼の生誕の場所もあり、それに隣接する名勝玄宮楽々園がある。


 今回は国宝彦根城のある意味終始してしまったが井伊家がこよなく愛した彦根城とその城下町。来るものの心を和ますには十分すぎるアイテムであると。

 Photographer 岡田 朗


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